Vol.2「北のアルプ美術館」
「アルプ」の
イメージをそのままに。
自然のなかに溶けこむ、
山荘のような美術館。
「取り囲む自然の大きさに、この山を描くことは私には敵わないと思い続けていた。ようやく、思い切って描く気持ちになれたのが、二年ほど前のことで、よくも悪くも、ひとつだけの斜里岳である。」これは山の版画家・大谷一良さんが、2010年に描いた「雪の斜里岳」に寄せた言葉です。
心のなかの山を描く大谷さんが唯一、リアルに描いた斜里岳。
これをお願いしたのが、「北のアルプ美術館」初代館長の山崎猛さんです。この美術館こそSNOWSと大谷一良さんをつないだ場所。
ここには、大谷さんや仲間たちが生涯を通して深く関わった山の文芸誌「アルプ」と、その精神を後世に伝えたいと願った山崎さんの思いが、熱く、静かに息づいています。
ノスタルジックな
美術館のなかに広がる、
自然賛歌の世界。
空に向かって、高く枝をのばす美しい白樺林。ブルーグレーの印象的な色合いの外壁にレンガの煙突。山荘のような雰囲気をまとう「北のアルプ美術館」は、斜里町の住宅街の一角にたたずんでいます。
ここでは、芸術の観点から山を見つめ続けた文芸誌「アルプ」(1958~1983年刊行)の全号をはじめ、関連する原稿や資料などを数多く展示。
SNOWSのパッケージに起用している版画家の大谷一良さんの作品以外にも、責任編集者であり哲学者で詩人の串田孫一さん、詩人の尾崎喜八さん、版画家の畦地梅太郎さんなど、多彩な執筆陣が山への畏敬と自然賛歌の精神を伝えています。
ここを私設美術館として開設したのが山崎猛さん(1937~2020年)。猛さんは「アルプ」の熱烈な読者で、この本との出会いにより人生が大きく変わった一人でした。
山崎さんがともに歩んだ
「アルプ」の終わりと、
新しいスタート。
猛さんと山の文芸誌「アルプ」の出会いは20歳の冬。働いていた地元の本屋に創刊号が誤って配送されたのがきっかけでした。偶然のような必然の出会い。それまで、ただ厳しいものだった知床の自然が、美しく尊いものへと変わる瞬間でした。それから猛さんは、休日になるとカメラを手に山へ向かい、ジャズにのめりこんでいきます。
「山崎の生き方はすべてアルプの影響を受けていました。人生そのものですね」と振り返る現館長で妻のちづ子さん。1985年、300号をもって終刊。
「がっかりしたと思いますが、すぐにアルプの精神を美術館という形で残したいと。これは彼の告別式で私が述べた言葉ですが、山崎はラッセル車のような人でした。ラッセル車は後ろに進まないでしょ?目標に向かって、みんなが納得するよう努力したと思います」。1992年、10年近い準備期間を経ての美術館の開館でした。
語り残したものを
若い世代へ。
美術館に込められた思い。
「山崎が美術館に込めた思いをつないでいく。それが私の役目です」と話すちづ子さん。近所の小学生の研修や美術館好きなど、訪れる人の層はさまざま。そのほとんどは「アルプ」を知らない世代です。また、企画展のコーディネートや設営の際には、猛さんが信頼を置いていた地元斜里の若者たちが力を借してくれ、山を愛した作家たちの作品に新たな光をあててくれます。責任編集者の串田孫一さんは開館に寄せた言葉で、人間が己の欲のために自然を傷つけることを嘆いた後、次のような一文で締めています。「そして北海道の斜里の、この美術館のあるところから、病める地球が見事に癒されて行く爽かな緑が、先ず人々の心に蘇り、ひろがって行くことを願っている」。アルプが語り残したものを、次の世までも伝えたい。北の小さな美術館の願いは、若い世代へ確実に受け継がれています。
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